昨日は自給暮らし仲間が育てている烏骨鶏をいただいた。
生きている状態から鶏を絞めてその命をいただく。
僕自身は2度目のことだが、初めて鶏を絞める経験をしたメンバーも。
こういうことを経験すると普段自分たちが食べるものが、もとはどういう状態で、どう『食べ物』になるかよくわかる。
捨てるところは何もない。あますところなくいただく。
まだ生きている細胞を持った新鮮な身は刺身にし、
皮付きの引き締まった身を炭火で焼き、
庭のハーブと一緒にダッチオーブンに入れまるごとの命をいただき、
鶏がらはスープで出汁を取る。
ブロイラーとはまったく違う野生の肉の味。
そこまでは自分ではちょっと、、と思う人はたくさんいる。
だからといって鶏肉を食べない人はたくさんはいない。
一片だけを切り取ったものの上に成り立っているものを全てだと思い込めば、
残りの9割はすべて闇に葬り去られる。
そのとばっちりをくうのは弱者であり、地球や自然界の生き物たちだ。
鶏を絞めれば『食べ物』のことがダイレクトに伝わってくる。
自給的暮らしをすれば『生きる』ということがダイレクトに伝わってくる。