前回の記事では床をはいだところまで。
もちろん人生で床下を見たのも初めて、床を自分で張ろうなんてのも初めてのことで、当然躊躇もあった。
けれどもそれが田舎暮らし、自給自足の第一歩、生きていく知恵として身につけたいわけだから、やらないという選択肢はない。
『解体してみれば構造がわかる』と先輩移住者から聞いていた通り、、解体してみたら構造がわかった。(そのままやん!)
束石の上に束柱が立ち、その束柱で大引きを支え、、大引きで根太と言われる何本もの材を支え、、、根太の上に床板を張り、、、、いよいよその上に畳やフローリングといった化粧をする。
知識がなかったら一見ややこしい構造に聞こえるかもしれないけど、昔から存在するシンプルで理にかなった造りである。
現代住宅ではこれをさらに進化させた造りになっているんだけども、素材も造りもあまりにも進化してしまい、僕ら素人での補修や改装はどんどん難しくなってきてる。
それを考えると、藁葺きの古民家でもなく、現代住宅でもない、僕らが借りた家っていうのは、実は素人が自分で改装するのに丁度適した家の作りをしているのかもしれない、と一人納得。
それにしても驚かされたのは、同じ床下でも腐り朽ちかけてた材と、その隣でまったく傷んでなかった材の差。
何が違うのかって、その差は『樹の種類』。
根太や大引といった木材は加工しやすく柔らかい『杉』の木でできていて、それは今にも朽ち果てそうな。
けれども『土台』と言われるコンクリートの基礎に直接乗っかって、家中に張り巡らされている木材は最も湿気や水に強い『栗』の木で、全く傷んでおらず。
防腐剤なんて無かった時代に建てられて、この部分は一度も改装もしてなかったらしいので、『杉』と『栗』がおかれた条件は同じだったはず。
すっかすかになった杉と、どっしりと木材の役割をいまだに果たしている栗の土台。
杉が使われた部分は、痛んでも修繕可能な部分にのみ使われてるから、
ちょいと昔からの大工なんかの間では常識なんだろうけども、
『樹の特性を知り、樹の特性を活かす』ということを改めて自分で見て体感しなければ、一生知ることもなかったなと。
ちょっと調べてみると、
昔は家を作る木材を取るために、庭に栗の木を植えるもの珍しくなかったらしい。
栗の実も取れて、丈夫な材も取れる栗という木は人間にとっては重宝する木だったんでしょうね。
(近所のばあさまの家は全部自分で育てた『松』の木で建てたって自慢してました。松の木もクリと同じく昔から利用価値が多い樹木の一つ。)
話がだいぶそれたけれども、とにかく床を直そう!笑
写真は、元は居間?だったところですが食料貯蔵庫にする予定の場所。
初めて床を張った部屋でお恥ずかしい出来栄えですが。
写真上のコンクリの部分は囲炉裏があった場所ですが、この部屋では火を使わないつもりなので、床下貯蔵にするつもり。写真右と左では根太の間隔が違うけども、部屋にのせる保存食の重さが結構あるので補強している。
家直しのコンセプトでも書きましたが、なるべく化学物質を発散させるような物を使わない。
床張りももちろん同じコンセプト。形あるものはいずれ無くなるし、いくら対策をしてもシロアリも木材不朽菌も来るときは来るんです。笑
とはいえ、いろいろやってみたくなるのが田舎暮らし一年生。
自然由来のものなら良しと、
廃材や無垢の杉の木で骨組みを作ったうえに、昔から防腐・防虫の目的でも使われてきた『柿渋』に、木酢液を5%ほど混ぜて塗料として塗る。
ただしやはり木材が傷みにくくするためにする、こういったことは対症療法的なもので、
家を長持ちさせるためには家から水を遠ざけ、十分な通気があることが大前提なんですよね。
まあそんな感じで結局、
6畳三部屋、四畳半三部屋と、家の半分以上の床を張り替えた。
俺の床張りもなかなかのもんだと自我自賛し始めたころ、張る床も丁度なくなった。
初めまして。いいですね、すごく憧れます。身の回りのことの出来ることは自分たちでする、この消費社会に惑わされない生き方、仕事を生業として生活する。精神にも身体にも優しい、そして知恵がついて強くなれる。
2013年11月22日 6:49 AM | 小川寛
小川さん、コメントありがとうございます。この暮らしには知恵や工夫といったものに溢れています。そしてそれを学ぶ方法も実践する方法も人それぞれ、十人十色、だからこそその人にしかできない暮らしを創造することができます!(もちろんどこでも同じ、しんどいことや矛盾もありますが。)
お互いの立ち場で楽しみ、奮闘していきましょう!またブログ覗きに来てくださいね!
道明
2013年11月22日 10:10 AM | doumyou